2大会連続で日本と対戦した名将ペケルマン監督の戦術と経歴は?リケルメとのエピソード!
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プロフィール
国籍:アルゼンチン
生年月日:1949年9月3日
身長:174cm
選手時代は中盤の選手としてアルゼンチンとコロンビアのクラブでプレーし計235試合に出場。全盛期の28歳の時に膝の怪我が原因で現役を引退。それからタクシーの運転手で生計を立てながら、アルヘンティノス・Jrsのユースチームで指導者の道をスタートさせた。
監督経歴
1981~1982年 チャカリタ・Jrs(ユース)
1982~1992年 アルヘンティノス・Jrs(ユース)
1992~1994年 コロコロ(ユース)
1994~2001年 アルゼンチン代表U-20
2004~2006年 アルゼンチン代表
2007~2008年 トルーカ
2009年 UANLティグレス
2012年~ 2018年 コロンビア代表
世代別アルゼンチン代表監督として有名になり南米年間最優秀選手賞に2012年から3年連続で受賞。
どんな監督?戦術は?
ペケルマンはアルゼンチン人らしく第1に守備を整備してチームに安定感を求める監督である。また規律を重んじる監督でチームの中心となる選手を決めることでチームを作り上げていくことがスタイル。
一般的にこのようなスタイルであると中心選手になれなかった選手や規律に縛られることを嫌う選手から不満が出るケースがことのも事実。たが、クリンスマンは積極的に選手とコミュニケーションを取りながら信頼関係を大切にしてチームをまとめあげていく。
ただ、試合前に仕事を終わらす監督なので試合中の采配はあまり得意ではないと言われている。特に有名な試合がドイツW杯での準々決勝ドイツ戦。試合終盤に1点差でリードしていた状況で守備固めのためにチームの中心だったリケルメを下げカンビアッソを投入。だがこの采配が裏目に。ドイツはリケルメの脅威がなくなったことでドイツは攻めに比重を置けるようになり同点に追いつく。試合はPK戦でアルゼンチンが敗れた。
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リケルメとのエピソード
ペケルマンがアルゼンチンのユース代表監督をしている時に家庭が貧しくて満足な食事を摂れないリケルメのためにサッカー協会に掛け合い宿泊所で生活できるようにした。
ペケルマンが1選手に対してこれほど親身になるのは、サッカーの本質は「人」である信念を持っているという象徴的なエピソードである。
ペケルマンに救われたリケルメはアルゼンチン年間最優秀選手賞を4回、南米年間最優秀選手賞を1回受賞し、ドイツW杯では恩師ペケルマンのもとで中心選手として活躍した。
まとめ
コロンビア代表を6年間に渡って指揮したペケルマンだったがロシアW杯でのベスト16敗退を受け解任。今後どのチームで指揮を振るのか楽しみである。