SSCナポリの豆知識
SSCナポリ
今季CLでシティと同じグループに入ったナポリ。マラドーナが所属していたことが有名なクラブだが、もう少し掘り下げてみたい。
チーム名の変遷
1904年にナポリは誕生した。1906年に「ネープルズ・フットボール・クラブ」というチーム名になり、ナポリで初めてのサッカーチームであったため急成長するが、1911年このチームが2チーム分離してしまう。これにより分離した2チームは低迷してしまったため、再び2チームが合併を決め、合併後のチーム名を「FBCインテルネープルズ」に変更し、チームは輝かしい活躍をする。1926年初代会長が就任したことにより「ACナポリ」に改称する。そして、1964年クラブの組織変更により現在の「SSCナポリ」というチーム名になった。
最も熱狂的だった1980年代
ナポリのホームスタジアムの近くにサンパオロ協会があるため「スタディオ・サンパオロ」と呼ばれるようになったスタジアム。7万人を越す収容人数を誇るサン・パオロが最も熱狂的なったのは1980年代後半である。
1985年、バルセロナを去ってアルゼンチン人であるマラドーナがイタリアの小さなクラブを選んだのは、祖父の故郷という理由もあったという。ナポリの人々は「神の子」の虜となり、1987年5月10日にリーグ優勝を果たしスクデットをナポリの人々に捧げた。そのマラドーナの活躍を称えてサン・パオロに銅像を建てた。
さらに、翌々シーズンには2度目のスクデットをナポリにもたらした。
しかし、大きな事件が起きる。1990年W杯。サン・パオロは彼のホームとはならなかった。サン・パオロで行われた準決勝でアルゼンチンが対戦したのは開催国のイタリア。ナポリの人々は複雑な気持ちで試合を見守ったが、結果はPK戦でアルゼンチンが勝利。イタリア国民はマラドーナを批判し、ナポリにあった邸宅には投石があり、脅迫電話もあとが絶たなかったという。傷ついたマラドーナは失意のままナポリを後にすることなった。
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